ブッダ以前の世界は、何を考えていたのか

ヴェーダ、梵我一如、業と輪廻、沙門の実践。釈尊は長い思索を受け継ぎながら、固定した自己という前提をどう覆したのでしょうか。

ブッダ以前の世界は、何を考えていたのか

釈尊は、誰も考えたことのない問いを、ある日突然思いついたのでしょうか。そうではありません。釈尊が生きたとされる紀元前五世紀ごろの北インドには、すでに長い思索の歴史がありました。人々は少なくとも数百年にわたり、宇宙はどこから生まれたのか、人間の本当の自己とは何か、そして苦しみから解放される道はあるのかと問い続けていました。釈尊の悟りは、その巨大な流れの外に現れたものではありません。流れを深く受け継ぎ、最後には、その底を支えていた前提そのものを見直したところに、仏教の新しさがあります。

ヴェーダから梵我一如へ

その出発点にあったのが、ヴェーダと呼ばれる聖典群です。古い時代の人々は、火や雨や雷など、自然のさまざまな働きのうちに神々の力を見ました。祭祀を行い、正しい言葉と手順で神々に供物をささげ、世界の秩序と人間の暮らしを保とうとしたのです。そこでは宇宙は、人間から切り離された無機質な空間ではありません。神々と人間と自然が、祭祀を通して結びつく生きた秩序でした。

しかし、思索が深まるにつれて、新たな問いが生まれます。神々がそれぞれ異なる力を持つとしても、そのすべてを成り立たせている根源が、さらに奥にあるのではないか。多くの現象の背後に、一つの究極的な実在があるのではないか。この探究は、ヴェーダ文献の後期層に位置するウパニシャッドで多様に展開し、その有力な潮流の一つでは、万物の根底にあるものがブラフマン、すなわち梵として語られるようになります。

探究は、外の宇宙だけに向けられたのではありません。人間は身体を持ち、感覚を通して世界に触れ、考え、記憶します。けれども、身体は老い、感覚も思考も絶えず変化します。それならば、変化するものの奥に、変化しない本当の自己があるのではないか。いくつかのウパニシャッドでは、死を越えて存続する内なる自己が、アートマン、すなわち我として考えられました。

そして、ウパニシャッドの有力な潮流の一つでは、宇宙の根源であるブラフマンと、人間の内奥にあるアートマンが同一視されます。後世に「汝はそれなり」と訳される「タット・トヴァム・アシ」という句は、梵と我の関係をめぐる解釈を象徴してきました。この読みでは、自分を小さな身体や移ろう心だけだと思うかぎり、人は宇宙から切り離された存在に見えます。しかし、真の自己を知れば、その自己は万物の根源と一つである。これは、人間の限界を越えようとする壮大な答えでした。

ただし、この読みには難問が残ります。梵と我が本来一つであるなら、なぜ私たちは分離を感じ、限界に苦しみ、死を恐れるのでしょうか。なぜ本来完全であるはずの自己が、不完全な生を繰り返すのでしょうか。この問いに関わるのが、業と輪廻、そして解脱です。

人の行為は、その場で消えてしまうのではなく、業としてのちの生に影響を及ぼす。生き物は死によって完全に終わらず、生まれ変わりを繰り返す。その果てしない循環が輪廻です。そこで解脱とは、単に次の生をより幸福にすることではありません。いくつかのウパニシャッドでは、アートマンを知ることによって輪廻や死の束縛を越える境地が説かれました。これをブラフマンとの本来の同一性の覚知として読む伝統も、後世に大きく展開します。

祭祀の権威と沙門の挑戦

ヴェーダ祭祀の正統的な担い手が、ヴェーダを学び、祭祀を執行するバラモンでした。聖なる言葉と複雑な儀礼を正しく扱える者が、人と神々の間を仲介します。その権威は宗教の領域だけにとどまりませんでした。過去の業が来世の境遇に関わるという発想は、すでに一部のウパニシャッドに見られ、後世には現世の身分秩序の説明とも結びつきました。ただし、ヴァルナやジャーティの成立と展開を業説だけで説明することはできません。祭司の権威と王の権力が支え合うとき、社会の秩序は宇宙の秩序の一部として正当化されました。

けれども、すべての人がその道を受け入れたわけではありません。ヴェーダ祭祀の権威に依存せず、自らの実践によって解脱を求める人々が現れます。沙門と呼ばれた出家修行者たちです。彼らは家や財産や身分を離れ、各地を遊行し、森林や荒野にも身を置きました。瞑想し、戒めを守り、ときには激しい苦行を行い、自分の身体と心を探究の場としたのです。

沙門たちの登場は、宗教を捨てたということではありません。問われたのは、解脱への道を誰が握るのか、そして何によって自由になれるのかということでした。生まれや祭祀ではなく、一人ひとりの実践によって道が開かれるなら、解脱は特定の階級だけのものではなくなります。これは既存の宗教的・社会的権威への挑戦であると同時に、人間の内面に向けられた厳しい実験でもありました。

当時の北インドには、一つの教えだけがあったのではありません。善悪の行為に報いはなく、死後の生もないと考える者がいました。あらゆる出来事はすでに運命によって定められ、努力しても変えられないと説く者もいました。究極の問いには確かな答えを出せないとして、判断を留保する立場もありました。

また、ジャイナ教では、永続する生命原理に過去の業が付着し、それが輪廻の束縛になると考えました。そこで厳しい戒律と苦行によって新たな業を防ぎ、すでに付着した業を取り除こうとします。他方、ウパニシャッドの思想家たちは、知によって梵と我の関係を悟ろうとしていました。方法も答えも異なる多くの思想が、同じ時代に競い合っていたのです。

禅定と苦行の頂点から

シッダールタ・ゴータマも、この探究の世界の外にいたわけではありません。出家した彼は、当時すでに高度に発達していた瞑想を学びます。やがて無所有処定、さらに非想非非想処定と呼ばれる、きわめて深い禅定に達しました。日常的な欲や粗い思考を離れ、通常の意識では近づけないほど静かな境地です。これは決して浅い経験ではありませんでした。

しかし、どれほど静かな禅定も、そこから出れば終わります。心を乱すものが一時的に鎮まっても、老い、病、死を前にした苦の問題が根本から消えたわけではありません。深い定は苦を一時的に鎮めることはできても、苦が生まれる仕組みそのものを断ってはいない。シッダールタは、学んだ道を外から軽んじたのではなく、その頂点まで進んだからこそ、残された問題を見たのでしょう。

次に彼は、五人の修行仲間とともに、死に近づくほどの苦行に身を投じます。欲望が身体から起こるなら、身体を徹底して抑えれば自由になれるのではないか。食を減らし、感覚を制し、耐えがたい苦痛に耐える。その実践は強い意志を示しましたが、苦を終わらせる智慧には至りませんでした。身体を痛めつけることは、身体への執着をなくすどころか、かえって身体を意識の中心に置き続けることにもなります。

快楽に身を任せる道と、苦痛によって身体を征服しようとする道は、正反対に見えます。けれども、どちらも感覚をめぐる争いから離れていません。快をつかむか、苦で快を押さえ込むか。その向きが違うだけで、問題を置いている場所は同じです。苦行から離れるという決断は、修行をあきらめることではありませんでした。苦しめば苦しむほど清らかになる、という思い込みから離れ、原因を正しく見定めるための転換でした。

固定した「私」への問い

ここで、当時のさまざまな道をもう一度見渡してみましょう。梵我一如の思想は、永遠のアートマンが梵と一つであると説きます。ジャイナ教は、永続する生命原理に付着した業を取り除こうとします。一方、高度な禅定そのものは、固定した自己の有無を決める実践ではありません。方法と答えは大きく異なりますが、少なくとも前二者には、浄められ、解放され、あるいは真実として知られる持続的な「私」がある、という前提がありました。

釈尊の決定的な問いは、この「私をどう解放するか」という問いに、ただ新しい答えを加えることではありませんでした。そもそも、解放されるべき固定した自己は、本当に見いだせるのか。その問いを、経験の一つひとつに向けたのです。身体は変わります。感覚も、心に浮かぶ像も、意志も、認識も、条件によって生じては変わります。そのどこに、変化せず、他に依存せず、思いどおりに支配できる自己を置けるのでしょうか。

これが無我の洞察へつながります。無我とは、何も存在しないという意味ではありません。行為がなくなるのでも、行為の結果がなくなるのでもありません。苦は現に経験され、業は因果として働きます。ただし、その過程を所有し、同じ姿のまま永遠に存続する魂は見いだせない。あるのは、条件によって生じ、条件が変われば移り変わる働きの連続です。

ここで、梵我一如と無我を、どちらも個人を越える神秘的な教えだとして混同してはなりません。梵我一如を説くウパニシャッドの一つの潮流は、移ろう身体や心の奥に永遠の自己を認め、それを宇宙の究極的実在と一つだと見ます。無我は反対に、身体や感覚や思考をどれほど調べても、不変で独立した自己は固定できないと見ます。一方は真の自己を見いだそうとし、もう一方は自己と呼んで握っているものの成り立ちを観察します。この違いは小さな言葉の差ではなく、解脱の道筋そのものを変える分岐です。

それでは、不変の主体がないなら、昨日の行為と今日の結果は無関係になるのでしょうか。仏教はそうは説きません。同じ魂が運ばれなくても、前の条件が次の出来事を生じさせる因果の連続はあります。一つのろうそくの火が別のろうそくを灯すとき、二つの火はまったく同じものではありません。かといって、無関係でもありません。前の火がなければ、次の火は灯らなかったからです。ただし、この比喩だけで輪廻の仕組みを語り尽くせるわけではありません。大切なのは、永遠の所有者を置かなくても、行為と結果のつながりは失われないという点です。

ですから、仏教が見た苦の根にあるのは、永遠の魂がどこかに閉じ込められていることではありません。移り変わるものを「これこそ私だ」「これは私のものだ」と固定し、失うまいと握りしめることにあります。身体も感情も考えも変わるのに、そこに変わらない自己を求めれば、変化のたびに不安と抵抗が生まれます。解脱の問いは、「本当の私を救い出すにはどうすればよいか」から、「私だと固執しているものは、どのように生じているのか」へと向きを変えました。

この転換は、先行する思想を無価値として退けたものではありません。宇宙の根源を問い、自己の奥を見つめ、業と輪廻を考え、祭祀を離れて身体と心を鍛えた人々がいたからこそ、問いはそこまで深まりました。釈尊自身も、禅定と苦行を身をもって経験しました。そのような実践的・思想的環境を背景に、それらの自己論に残されていた小さく深い裂け目、すなわち不変の自己という前提を見抜いたのです。

長い問いを受け継ぎ、前提を覆す

二十世紀の思想家カール・ヤスパースは、およそ紀元前八世紀から二世紀までを「枢軸時代」という見取り図で捉えました。中国、ギリシア、古代イスラエル、イラン、インドでは、互いに異なる言葉を用いながら、人間とは何か、世界とは何か、善く生きるとは何かという問いが深められた、と彼は考えました。同じ答えに到達したという意味ではありません。また、神話的思考が消えたという意味でもありません。ヤスパースの枠組みでは、既存の伝承を継承しながら、人間が自らを振り返り、存在の根本を問い直した時代だったということです。

そのなかでもインドでは、釈尊以前にすでに、宇宙論、自己論、輪廻の説明、そして解脱のための実践がさまざまな形で組み立てられていました。だからこそ、釈尊の悟りを孤立した天才のひらめきとして見るだけでは、その深さを捉えられません。釈尊は長い問いを引き受けた継承者でありながら、その問いに潜んでいた前提を覆す人でもありました。

では、不変の主体がないのなら、業の結果はどのように続くのでしょうか。魂が同じ姿のまま移動しないのに、輪廻とは何を意味するのでしょうか。そして、菩提樹の下で釈尊が見たのは、どのような因果の仕組みだったのでしょうか。ここから仏教は、自己をめぐる思想から、条件によって苦が生まれ、条件によって苦が消える道へと踏み込みます。次に見つめるべきなのは、まさにその悟りの内実です。